第一章

ウォーターゲート事件の症候群


Dr. Fujita のコメント

 真理はいつも単純である。複雑に見える回答は、間違っています。そして、最もやりきれないのは、その複雑な答えが意図的にねじ曲げられたものだということです。

 巨大な機械が全てを解決してくれると信じている人たちへ、いつも真理は単純であると伝えてあげましょう。 ガンは、全身の代謝病であり、壊血病やくる病と同じ種類の病気なのです。 既に回答を見つけた壊血病やくる病と異なるのは、ガンの本当の原因に誰も気づいていないということです。

 確かに、私たちを苦しめているガンが、食べ物のために起こってくるのだと言っても、2009年の今でも、誰も信じてもらえないのです。 百歩譲って、たとえ信じていたとしても、ガンになって手の施しようがありませんと言われるその日まで、自分だけは大丈夫と思って、何一つ行動にはでません。 その時には、手遅れだといくら声を大きくして言っても、どなたも耳をかそうとはしないのです。

 しかし、そんな状況からでもあなたを救い出せるかもしれないのがB17なのです。では、B17にまつわる苦難の歴史を紐解いてみましょう。

 以下、第1章からの引用です。


第一章

 今年も、35万人のアメリカ人が癌で死亡するだろう。このままの勢いでいくと、アメリカ人の「4人に1人」はその生涯のうちに癌にかかり、癌患者の数はアメリカ国内だけで実に5000万人を教えることになろう。 しかし、人類にとって治しにくい悲惨な癌が、現存の科学知識の範囲で完全に制御できることを、順を追って解説するのがこの本の目的である。

 癌は壊血病やペラグラ(皮膚病)と同じように、必要不可欠な「特殊成分」が現代の文明食に欠けているために、発病したり、悪化していく病気であり、一種の栄養欠乏症なのである。

 また、癌を根本的に抑えつけるためには、ある「特殊成分」を含んでいる食物を日常生活で取り戻すことが必要である。それさえできれば、癌のコントロールはたやすく解決し得るという根拠を追究してみたい。

 開国以来、初めてアメリカ市民は、医療の自由とそれに必要な薬剤を求めて、臨時移民となって海外に逃亡せねばならなくなった。自由の国・アメリカでは政府当局がいまだに許可していない。

 他方、アメリカ国内での癌退治の研究開発に対して、一年間に何十億ドルもの予算が諸研究機関に配分され、 また、何十億ドルもの制癌剤が販売されており、票集めにやっきになっている政治屋連中が、 いまだかつてないほどの政府計画をでっち上げているにもかかわらず、 癌で死ぬ人数以上に癌関係で生計を立てている人数は多いという事実がある。 こんな矛盾が、簡単なB17療法で解決できることになれば、巨大な医薬品業界や政治的な産業は一夜にしてつぶれてしまうであろう。

 ウォーターゲート事件で有意義な教訓があったとすれば、それは1970年に大多数のアメリカ国民が政府高官のうそ八百の側面に目覚めたことであろう。 今回の癌問題でも、うそがばれると、政府高官は国民の健康と安全を守るために実施してきたと言い訳するか、 似たような表現で崇高な目的を推進するために必要な処置であったといい逃れするであろう。

FDAの虚偽と腐敗

 アメリカ国民が癌で窮地に陥ってB17を渇望していても、FDAはそれらの人ぴとを救いたいと思う神経など少しも持ち合わせていないようである。 FDAは政策的にこうだと決めると、法律までそれに都合のいいように解釈したり、利用することが上手である。

 「クレピオゼン」の名で知られている、アンドリュー・アイピー博士が開発した制癌剤についての論争をみよう。 同氏はアメリカ医薬界の一流専門家として有名で、イリノイ大学の臨床科学部長として350人の博士や修士を世に送り出した人でもある。 第二次大戦後には、ドイツのニュルンベルグ裁判にアメリカ側代表として列席し、その偉業はアメリカ医師会から賞賛され、ブロンズや金銀のメダル賞が贈られている。 千以上の論文を科学と医学に関する雑誌に発表していることからも、医学ヘの貢献は理解されよう。

 医薬界の専門家として、法廷での証言を求めるために、FDAはしはしば博士を訪れていた。 しかし、癌とその療法に関して、現代正統医学派の一般通念と違えた独自の方法を博士が主張すると、 FDAは一夜のうちに、彼に対してインチキ医師の烙印を押してしまった。 アイビー裁判が行われ、インジアナポリスの某博士の書状が送り届けられて裁判記録に残された--

 多発性腫瘍患者を治療して組織検査を行った結果、癌性のものと判明し、「クレピオゼソ」を投薬したが、何も良好な結果は得られなかった。

 この博士は、証人として呼ばれたが、あいまいな回答を続けたので鋭く追及され、とうとう良心の重圧に耐えかねて、前言をひるがえした。 実際に治療も検査もしていないことを供述したので、この手紙はまったく嘘の証言となった。

 一体、なぜ、このようなことが起こりえたのであろうか。FDA機関の一人が博士に手紙を出し、その署名を依頼したらしく、ふだんヤブ医者とさげすまされていたこの医師は、 名誉回復の好機とばかりに飛ぴついたようである。

 1963年、FDAはさらに、「クレピオゼン」はごく平凡な物質で、ハンパーガーの中にもある「クレアチン」と同じものにすぎないと発表し、 「クレアチン」と「クレピオゼン」の分光スペクトルを示し、重ねてならべた写真も発表している。これによって、ライフ誌やマスコミはクレピオゼンは薬効もないし、無用のものと宣言した。

 ポール・ダグラス上院議員はその写真に疑念をもち、アメリカ・スペクトル界の第一人者スコット・アンダーソン博士に研究を依頼した。 ごく普通の比較検討の結果でさえ、両者のスペクトルには29カ所も相違点があり、さらに、16種も化学組成および色の違いが発見された。 FDAのスペクトル比較をわかりやすく説明すると、スペクトルの中軸部をうまくずらして、クレアチンのスペクトルに合うところまで移動したものであり、 本当の軸線に戻して測定すると、両者はまったく違った物質であることが判明した。

 1971年5月に、インジアナポリス・スター紙から、アイビー博士とクレビオゼンを非難する論評が長がながと発表されたが、 それはFDAの既定路線を踏まえて、”インチキ″だという趣旨に満ちみちていた。 すなわち、このような虚偽的な薬剤が”真に有効″な治療を受けるのを遅らせていることは、 癌の病人にとっては気の毒なことである、といったものであった。

初期の研究だけでB17を無効にしたいきさつ

 本論の中心であるB17に対しての策謀は、クレピオゼンの比ではなかった。最もひどい中傷は、1953年にカリフォルニア州医師会癌委員会が出した、にせ科学的報告書であろう。

 B17は、癌を治すような働きの証拠を少しも示さないし、また、癌細胞に対してはっきりした制癌カも持っていない。

 このカリフォルニア・レポートの断定的な結論は、ほとんどの医師や研究者にとって非常に満足のいくものであった。 ー万人中ー人も実際にB17を見たこともないし、また治療に使ったこともない。

 したがって、カリフォルニア州癌協会が正式発表をしたのだから、B17はまったく無効だと信じてしまうのは無理からぬところであろう。

 報道記者の卜ム・パレンチン氏はB17についでの意見を取りまとめるために、代表的な癌権威者とインタビューを行った。 その代表的な例を紹介しよう―

 ニューヨーク州バッファーローにあるロスウェル・メモリアル病院のエドウィン・マイランド博士は、 「B17をよく検討したが、価値のないことが判明した」と回答している。 小規模ながらこの有名な癌専門病院に、B17を実際にテストしたかどうかを問い合わせたが、 「もう他の著名機関がテストしており、癌治療に有効と認められなかった以上は、いまさら実施する必要は認めない」 とマイランド博士はコメントしている。博士は、他の権威者と同様に、カリフォルニア・レポートを参考にしているのである。

 そこで、果たしてカリフォルニア・レポートが、内容面でも、起草した人の能力面でも、 科学的に十分資格のあるものかどうかを決めることが非常に問題になってくる。 このレポートは、署名はないが、二人の博士 (一人は委員長のアイアン・マクドナルド氏、 もう一人はヘンリー・ガーランド秘書官) が書いたものである。

札束攻勢にまどわされたアメリカ医師会

 1963年、すなわち、初めのカリフォルニア・レポートが発表されてから10年たっても、カリフォルニア州保健局は、あの時代遅れの研究こそ真実であると再ぴ裁定し、相も変わらずそれまでの意見を修正しなかった。 しかし、今度は、一般大衆には予想もしなかった恩恵を与える個所が見つかった。

 最初のレポートの基礎になった実験研究が全部公表されたので、マクドナルド、ガーランド両博士の発表の基礎デー夕となったものも当然、公表され、 両博士の結論が事実を曲げたものであるとの証拠記録がさらけ出された。

 1953年、ジョン・W・メール博士は「シアンはB17から遊離しない」との結論を発表している。 この件は、後の章で詳しく述べたいが、B17が癌細胞のところで集中的にシアンを発生する点が大きな薬効の鍵であるだけに、 B17理論の有効性を否定する根本的反論である。

 メール博士は、「まだ決定的とはいえず、さらに研究が進められようが、まだ今の段階ではB17理論は支持されない」との論評まで加えている。

 しかし、最初の実験結果が発表されて10年たった1963年には、まったく違った展開をしはじめた。 いろいろな統計資料にまじって、「B17レポート付録No.4」が発見され、注目されたからである。 G・シ口フテンポアおよびW・ウォルマンの署名入り研究実験報告である-

 3時間還流した結果、シアン化水素臭が検出された。これを蒸留して苛性ソーダで捕集し、プルシアンブルー反応でシアン化水素を測定した。

 この報告は1953年1月14日付けのもので、メール博士がB17からシアンは発生しないと主張した2カ月前のものである。 マクドナルド、ガーランド両博士は肯定的な報告は無視し、否定的な報告を採用して「カリフォルニア・レポート」を作り上げたのである。 マクドナルド博士やガーランド博士の発表では「B17で加療した患者の腫瘍を顕微鏡で検査したが、顕著な化学的効果はなかった」とあったが、11年後には、必ずしもそうではない、と修正されたのである。

 すなわち、「付録No.3」には、二人の病理学者の発見が記録されていて、間違いなくB17の作用と認め得る「対腫瘍効果」が観察されたと報告されている。 それらは、1952年12月15日付けのジョン・W・パッド医博の報告と、1952年9月10日付けのJ・L・ズンデル氏のそれである。

 パッド博士の報告は-

 腫瘍内の出血性の細胞の壊死は激しく、化学療法による効果が得られたと解釈できる。 また、ズンデル氏の臨床検査では、対腫瘍効果が発見され、二つの例で討議がなされた-

 上の2例は緩慢な変化を示している。それは化学療法による癌組織ヘの有効な毒性のために、癌の細胞質に変化が起きたと思われる。

B17の真価を歪めたカリフォルニア・レポート

 上にあげた論拠こそ最上の証明である。それにもかかわらず、マクドナルド、ガーランド両博士は、 「誰に聞いても、B17が癌細胞に対して有効な毒性を与えた証拠は一つも観察されなかった」と断言してしまった。

 しかし、当時のB17の投与量はあまりにも少ないので、1953年当時の研究では、その効果をつかみにくかったのも事実である。 すなわち、現在考えられている適量のわずか50分の1という低いレべルだったのである。 B17研究の初期では、一回の投薬量はわずか50~100ミリグラムにすぎなかった。

 1974年までに各種の研究が行われて自信も深まり、次第に投薬量は増加して、一日当たり6~9グラムと多量に使用されるようになった。 B17を一週間から10日間で合計50~70グラム投薬すると、癌患者の容態は必ずよくなってくる。

 カリフォルニア・レポート当時の代表的使用量は一回の注射で50ミリグラムであり、また最高投薬量は200ミリグラムで、最大の積算投薬量は12回の注射で2グラムまでであった。 たとえば、5人の患者にわずか2回の注射、他のグループの5人にはわずか1回の注射である。これでは有効な結果は発現し得なかったであろう。

 クレプス博士は、失敗は起こりがちなものだという所感をもらしていた。 これらの事実のねじ曲げと化学的真実の曲解にも関わらず、両博士は発表の一環として、 次の点に論及しなくてはならなくなっている---

 いろいろな患者の状態を再検討してみると、医師たちは、患者の気分がよくなり、食欲も増し、体重も増え、痛みも薄らいだ。 と述べている。しかし、これらの重要な事実を最小限に見積もるために次の言葉を付け加えた。 ---このような所見は、治療効果の一つの立証にはなるが、本質的薬効ではない。

 「投薬治療効果があったか否か」は担当した臨床医の判断にまかせる問題であり、勝手に発表することは誠におかしいし、レポートの質を落とすだけである。

 むしろ、癌患者が、食事がおいしく食べられ、体重が増え、とくに苦痛から解放されることこそ、医師たちが喜び勇む重大な第一次効果ではないだろうか。 このカリフォルニア・レポートは癌専門の権威ある発表として、また、B17に対する法規制の基礎として、なんと20年間も妨害してきた。 今日では、このレポー卜は偏見に満ち、客観性のない、作為的なものと断定し得るし、少なくとも科学的なものとはいえない。

 1963年のカリフォルニア・レポー卜では、癌顧問委員会を発足させて、1953年当時よりも、新しく170倍も投与量を増した実験を行ったが、今回も腫瘍の抑制はできなかったと主張し、 前回の低投与量の分まで弁解している。

 しかしそれは、ハツカネズミの実験で、人体臨床テストではない。また、移植腫瘍テストであって、自然発生腫瘍テストでなく、前述した腫瘍の大きさの減小度合いによって治療効果を判定する方法で評価した。 どの程度の投与を行ったとか、どの程度の期間投薬したのか、という記録は何もない。考えようによっては、ただ1回しか注射しなかったのではないかとさえ思えるし、また真に有効なB17が使われたかどうかもわからない。

FDAのB17使用禁止規制

 1973年、ハツカネズミを使ってのB17研究が進められて何カ月かが経過したころ、 アラバマ州のサウザン研究所からワシントソの国立癌研究所あてに新しい発見が報告されてきた。 それに基づいて国立癌研究所は、B17は癌治療に著しい効果はないことを当時、世に発表した。

 新しい報告の生のままのテータや図表を整理してみて、パーク博士は実験のハツカネズミが三集団に分けられることに気がついた。

 第1グループは対照群(無投薬)と同様に早く死亡し、第二グループは対照群より早く死亡した。 だが、第三グループは対照群より例外なくかなり長期間生き統けた。 この驚くベき重大な成果をみながら、どうして国立癌研究所は、B17は無効で無価値だといい得るのであろうか。

 しかし、同研究所のデータ整理法をみると、三集団を集計して「全部の合計」から効果を判定してしまい、 「有効な第三グループの効用」を無効な第一と第二の大集団で消し去ってしまっている。 全実験のハツカネズミ中、対照とくらべて著しく延命の適量グループがあった。

 国立癌研究所は、この事実を発表せず、すべて統計上の平均値で無効としてしまった。 統計は決してうそはつかないが、うそつき者には統計を悪用できるのである。 こんなことが″B17はインチキ″であるとの、いわゆる科学的証拠の背景なのである。

 このように、彼らは真実をねじ曲げた報告に基づいて「B17の処方をしたり、投薬したり、販売したり、分与したり」することを違法と決め、 「B17が癌の進行を制御するとか、緩和するとか、治癒するような表現の一切」を厳禁してしまった。

 1970年4月6日、マックノートン氏をスポンサーとするマックノー卜ン財団がIND(新医薬の審査)の第一次臨床テストを行うべくFDAに認可申請をし、同年4月29日に一応認可が得られた。 当時のレポーターは「地獄のような救いがたい現状が緩和されてよかった」と報じている。

 しかし、このとき、政治的影響力をもつ某大物が、FDAを電話で叱りつけ、試験を中止させた模様である。 翌28日、FDAは財団に公式文書を送っている。 申請書に不備項目があるから、10日以内に補充データを送るよう要求したのである。 奇妙なことに、手紙は9日目の5月6日まで財団には届かなかった。 つまり予定日よりわざと遅らせて発送した(日付けはそのままで)。 これでは、間に合わぬように仕組んだといわれても仕方があるまい。

 INDは5月12日に、FDAから認可取り消しの電報を受領している。 財団はそれでも補充データを提出さえすれば再認可されると考え、 手紙を受け取りた9日後の5月15日に補充書類を発送した。 しかし、硬直化したFDAはついに認可をせず、B17はテストされなかった。

 必ずしも不備でない申請書に対して50頁にもなる追加要求項目をかかげ、 たった10日以内にそれを提出せよと命じたことは過去3年の仕事からはどうしても思い出せない、 とFDAの元高官がパーク博士に語ったという。

 また、1970年のFDAの手続き上の「手引き」の中に、FDAに対する回答が10日以内でなければ無効とする注意事項は何もない。 いずれにせよ、全部の筋書きが、B17の試験を中止させるための言い訳として、政治的圧力により策動されたことは明らかであろう。 また、INDの認可取り消し理由の一つとして、B17の毒性の可能性がいわれていたそうである。

 FDAは次のように述べている――

 INDは、アミグダリン(B17)は無毒である、と申し立てているが、毒性がないことを証明するはっきりとした資料が欠如している。 ハツカネズミでの単一投薬テストの結果をもとにして、人間の長期投薬テストをすることは危険と考える。 毒性の本質が他の多種多数の動物を使って究明されていない。

 これはまったく信じがたい声明であり、後章で詳しく説明したいが、疑問点はあらかた次の通りである――

 これまでにFDAが認可した多くの制癌療法こそ、激しい毒成分が含まれており、B17だけが毒性間題で試験を拒否されることは、屁理屈の最たるものである。

 もう一つ、B17のテストを拒否した理由は、患者を治療した医師が臨床記録を詳しくとっていない点である。 一般に第一段階の臨床テストでは、既存の臨床記録はまったく不必要なのが通例であり、この理由も馬鹿げた弁解にすぎない。

 正義感と義憤を感じた国立癌研究所のパーク博士は、そのころ保健教育福祉省の秘書官、ユリオット・リチャードソン博士に次の手紙を送っている---- ご承知のように、INDの第一段階臨床テストは、FDAが当然認可すベきである。

 とくにメキシコのコントレラス博士やドイツのニーバー博士は、B17を癌患者に使用して、きわめて有効かつ適切であるとし、補助的療法として採用している。

 しかも、臨床上の評価は、必ずしもFDA認可の処方箋通りの正確さや完全さでもって実施してはいない。 だから、FDAがINDに対して、記録やデータが不備だとして第二次臨床テストを許可しないことは大きな間違いである。 このような抗議はあったが、依然としてFDAの方針は変わらず、B17の苦難は続いて、テストは進まなかった。

誰にも臨床テストをさせないFDAの規制

 1971年9月1日、FDAは、B17の評価と再検討のための特別顧問委員会で 「臨床実験に適していると思われる治療効果は何一つ発見できなかった」と発表した。

 また、その中で、それが明らかにされた以上、もはやアメリカ国内でB17を試験したり、販売したりしてはならないと付言している。 政府機関の内外でいったい誰が、過去のB17の試験の成果をねじ曲げ、さらに、誰にも試験をさせないなどと企画しているのだろうか。 この問題は第二章以下で十分に検討したい。

 しかし、一つの回答として、自説を曲げないパーク博士がロパート・A・ロイ国会議員に送った、1973年7月3日付けの手紙が示される-―

名誉あるロイ議員殿

 「いったい、なぜ、一つの研究所で示された有効な成果を認めないで、偽りを押し通しているのか不思議に思われます。 FDAでも、アメリカ医師会でも、アメリカ癌協会などの機関組織でも、 「B17の対腫瘍効果は、少なくとも一度は国立癌研究所の実験で観察された」と認めなければなりません。 そうでなけれぱ、これから行われる民間レベルの実験に伴って、官僚主義の象徴はますます傷を深めるでしょう。 いくら反対しても、それを乗り越えてB17の実験は続行されましょう。 予想もできないような無法が横行し、ウォーターゲート事件のような間違った問題を再び引き起こしかねないでしょう。

 いまや、数千人ものアメリカ人が毎日B17を摂取しており、何百人もの医博が研究したり投薬したりしています。 また、大きな病院でもB17の研究を引き受けています。 FDA当局とか国立癌研究所が当惑しようがしまいが、このことは厳然とした事実なのです。 国立癌研究所やFDAのスポークスマンは、当局のメンツを保とうとするだけで無責任そのものであり、 他人のことは後にして無視してきた結果、すでにウォーターゲート事件の法廷訊問のふまじめさに値する状況下にあり、 もはやB17の実証という事実から取り残されていくのではないでしょうか。」

 いまや事件は取り上げられた。連邦政府に雇われている人間の一人、とくに国立癌研究所の細胞化学部長が、 過去の栄光を賭けても、真実を宣言することになったのである。 残念ながら、そんな人間は今のワシントンに何人いるのだろうか。 パーク博士は1972年の国会諮問の委員会でB17に関する証拠を説明し、次のように述ぺている―-

 私は自分のことをどちら側につくかわからないほどフラフラな男とは思っていない。 正直に思ったことを申上げるし、正しいと思うことはよろこんで陳述いたします。 私はこれから研究所ヘ行きます。そこでは本当の真実が”蒸留″されています。

 少し気取った表現でいわせてもらうならば「われわれもバーク博士の後についで研究所へ行こうではないか」。 しぱし、政治と堕落の世界を離れて、「さあ!科学の真実の蒸留の場ヘ戻ろう」。